活動:第三十一回泰永書展~野尻泰煌追悼展~

泰永書展が終わりました。私は主に力仕事担当で搬入出の初日と最終日に伺いました。他にも受付。二日目も伺うつもりだったのですが想像以上に設営で疲れ果ててしまい起き上がれず・・・そのままお休みいただきました。

今回の記事は父のサイト「フォトグラファーズオフィス美苑」および叔父のサイト「MATSUZATO Hoko Web Site.」の許可を得て写真をお借り致しました。ありがとうございます。

家族と先生

私の家族はまさに野尻先生で成り立っていました。先生の死後も話題の中心は野尻先生ですし、家族で練成会をするように。全員弟子入りしましたし、私の名前は先生がつけて下さいました。その関係で両親は離婚の危機を迎えましたが、叔父である鳳煌さんの支えや、氏が開いてくれた父の個展、野尻先生の陰日向無いサポート、泰永書展という共通の年の節目があり結果的に今に至っている気がします。その間、

2017年のハンガリー展に同席し

翠甫.net

2019年のオーストリア展にも同行させていただきました。

この時はカメラマンも担当しました。

泰永書展開幕

2020/9/27 東京芸術劇場

開催を知らせるポスター。

会場は芸術劇場のアトリエイースト

副代表である鳳煌さんの話では、泰永書展は東京芸術劇場開館時よりのお付き合いだそうです。グランドオープンの年に、第二回泰永書展が開催され、先生の個展と泰永書展を併開。驚いたのですが5Fの展示ギャラリーで開催されたとのこと。昨年の第三十回記念展はその展示ギャラリーⅠで記念展をやりました。

なので第三十一回泰永書展に対し芸術劇場が三十周年なんですね。

第三回まで5Fでやり、以後銀座へ。第十一回の時に戻ってきて、改装中を除きこのアトリエイースト(元展示室Ⅰ)を発表の場としてきたようです。詳細は氏が当時より運営している Web泰永会 の「目次」>「書道塾」>「泰永書展」に記載されております。

私と母が防疫担当でしたが、副代表の鳳煌氏の依頼の下でCOVID-19対策万全でお出迎え! 各種サインを掲示し、検温を実施、アルコール除菌してもらい、ペンは毎度消毒、入場処理を手伝いました。全ての来場者がキッチリとマスクをされ、検温にも驚かず、消毒、入場記録にも協力的で意識の高さが伺えました。助かりました!!

泰永書展

泰永書展は先生の弟子達が集うほとんど唯一の場でした。多くのお弟子さんや元お弟子さん達が忙しい中にも関わらず集まっていただいたようです。中にはこの書展を通し先生の急逝を知って駆けつけた方もいらっしゃったようで、その他にも先生が急逝された前後に身内を亡くされた方もおり、皆さん色々抱えた中でいらしたことが後から伺えました。

私の作品は特に大きいので会場でしか全容を見ることが出来ません。野尻先生が生前仰っていたことに、何があっても一目でもいいから最低限自作は見ていくようにと。会場で自作を見ない限り作品は完成しないと言ってました。なのでじっくり見てきました。

搬入日では上へ下へと発奮。初日と最終日の帰路ではぐったり。帰りは毎年のことながら車中で爆睡してしまいました。

搬出日も。

2020年/第三十一回泰永書展~野尻泰煌追悼展~出展作

野尻先生最後の手本を元に書いた自作の草書。長条幅2幅。叔父に大変褒められました。

17:02 閉場。

叔父の掛け声で撤収前に集い父が写真撮影。

皆様本当にお疲れ様でした。

閉幕

副代表の鳳煌さんが帰りに言ってましたが野尻先生に胸をはって見せられる書展になったと思います。話によると予想より大幅にご来場いただけたようです。本当にいい展示会になったと思います。ありがとうございました。

正直、今後のことは何も考えられませんが野尻先生が仰っていた「安心しな。あんたは大器晩成型だから。そういう名前にしたんだから。完全姓名だよ」という言葉を胸に歩んで参りたいと思います。先生、色々ありがとうございました。

 

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